【8053】住友商事の沿革について解説致します
.
沿革
● 1590年(天正18年):蘇我利理衛門(住友に関する事業の「業祖」とされる)が京都に銅の精錬と銅細工の作成を事業とする泉屋を開業する
● 1621年(元和7年):住友政友(商家としての住友家の「家祖」とされる、蘇我理利右衛門の義弟)が京都に薬の製造販売と出版業を事業とする富士屋を開業する
● 1691年(元禄4年):住友家4代目にあたる住友友芳が伊予国(現・愛媛県)の別子銅山の採掘を開始、以後1973年に閉山されるまで関連事業を興すこともあり住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった
● 1919年(大正8年):大阪北港株式会社を設立、大阪北港地帯の不動産開発・不動産経営を行ったこの会社が現在の住友商事の源流とされている
● 1944年(昭和19年):大阪北港は株式会社住友ビルディングを合併して住友土地工務株式会社と改称する
● 1945年:住友土地工務は田路俊也(住友商事の初代社長とされている)を商事部門の統括責任者に任命して商事事業を開始、社名を日本建設産業株式会社と改める(当時、GHQの財閥解体の指示によって「住友」の名称使用を禁じられていた)
● 1947年:田路俊也が日本建設産業の社長に就任
● 1952年:日本建設産業は住友商事株式会社と商号変更(戦後、GHQによって禁じられていた「住友」の商号が復活)
● 1955年:福岡証券取引所に株式上場
● 1962年:事業拡大への体制整備として商品本部制を導入、鉄鋼、非鉄金属、電機、機械、農水産、化成品、繊維、物資燃料、不動産の9本部を設置する
● 1973年:フランクフルト証券取引所に株式上場
● 1979年:総合商社としての経営基盤確立のため営業部門制を導入、鉄鋼、機電、非鉄化燃、生活物資の4営業部門を設置して分権化を促進
● 1988年:5代社長・伊藤正が商事活動と事業活動を収益の2本柱とする「総合事業会社」構想を打ち出す(1980年代の世界同時不況、原油価格暴落、プラザ合意後の円高によって営業利益が激減し抜本的な収益構造の転換を迫られた末の決断だった)
● 1990年:6代社長・秋山富一が社長就任、以後、伊藤正前社長の打ち出した「総合事業会社」構想を実現すべくアクションプランの立案と実行に着手
● 2001年:東京都千代田区一ツ橋から東京都中央区晴海に本社を移転
● 2018年:東京都中央区晴海から東京都千代田区大手町に本社を移転
● 2019年:住友商事は創業100周年を迎えた
最後に
住友商事の沿革を紹介致しました
.
安土桃山時代の銅の精錬と銅細工の作成を起源として銅山開発によって住友家の事業は発展しました。
時代は下り戦後、住友家の不動産事業を営む会社が商事部門を立ち上げたことが住友商事の源流です。
現在、住友商事は日本を代表する大手総合商社として、あらゆる資源開発、加工、輸送、小売といわゆる「川上から川下まで」幅広くビジネスを展開しています。
.
住友商事の事業内容に関しては現在勉強中です
いずれ事業内容に関しても紹介したいと思います
.
ありがとうございました!!
コメント